当院はおかげさまで咳にお困りの患者さんが一年を通していらっしゃいますが、その中でも4~6月はやや来院される患者さんの数が落ち着きます。
4月から池田医師と永山医師、6月から中島医師の診察が始まり、当院はここ数年にはなかった、ご予約の取りやすい状況になっています(昨年同時期に比べて、当院にご来院頂く患者さんの数はおかげさまで8%近く増えてはいるのですが)。
ただこれからは、例年8月のお盆に向けて、混雑が徐々に始まる時期でもあります(なお今年の当院の夏期休診期間は8月10日~8月18日の9日間です。ご不便をおかけしますが、私たちにも少し休みをください・・・)。
この時期、咳の症状にお悩みの方は、お早目の受診がお勧めです。
お気軽に当院にご相談ください!
さて、当院が得意とする「長引く咳」。
その原因として、皆さんもよくご存じなのは「喘息」「咳喘息」です。
また鼻炎による「後鼻漏」によって咳が長引く方も少なくありません。
しかし、「長引く咳」の原因としてもう一つ、頻度はかなり多いながらもしばしば見逃される「ある原因」があるのです。
それが「胃酸の食道への逆流」、すなわち「胃・食道逆流症」です。
今回は、「長引く咳」の隠れた3大要因の一つ、「胃・食道逆流症」を、呼吸器の観点からお話ししてみましょう。
まずはキホンから。
「胃・食道逆流症」とは?というところからお話ししてみましょう。
胃は口から食べた食べ物を溜めて、消化する器官です。
食べ物を消化するために、「胃酸」が常に分泌されています。
「胃酸」の主成分は皆さんが小中学校でも習った「塩酸」、これはいわゆる「強い酸性」の物質です。
人間の体は通常「酸」には弱いのですが、胃はそんなことは言ってられません。
胃壁には「ムチン」という粘液と「重炭酸イオン」などからできたゲル状の層に覆われています。
「重炭酸イオン」は「アルカリ性」の物質で、胃酸を中和することができます。
そして「ムチン」という粘液は胃壁に効率よくこびりつき、重炭酸イオンが胃壁にずっととどまることができるのです。
また、胃壁の構成成分である胃粘膜も酸に強く出来ています。
加えて、この粘膜の下には豊富な血流があり、ここには「酸」によって損傷した組織を、すみやかに修復する栄養や酸素が流れています。
これによって、例え胃粘膜が傷ついても速やかに傷を修復できるという仕組みを持っています。
この3つのしくみによって、胃壁は胃酸から守られているのです(このバランスが崩れると胃炎や胃潰瘍になってしまうというわけです)。
ところが、その上にある「食道」には、このような機構がありません。
ですので、何かしらの原因で胃酸が食道に逆流してしまうと、食道は容易に傷ついてしまうのです。
では、なぜ胃酸が食道に逆流してしまうのでしょうか?
胃と食道の境界には横隔膜があり、「下部食道括約筋」という輪状の筋肉があり、本来は収縮して胃内容物の逆流を防いでいます。
しかし、この括約筋の力が弱まってしまうと、本来閉じているべき場所がゆるんでしまい、胃酸や胃内容物が食道へ逆流しやすくなります。
さらに、胃のなかに食べ物やガスがたまって過度に膨らむと、下部食道括約筋が一時的にゆるんでしまうことがあります。
本来は嚥下と連動してのみ緩むはずの括約筋が、この過剰な膨張刺激によって無関係に弛緩してしまうち、胃の内容物が逆流しやすくなるのです。
また、胃の働きが悪くなり、内容物の排出が遅れても、逆流のリスクが高まります。
糖尿病や自律神経障害などで神経機能が落ちてしまうとこのようなことが起きやすくなります。
加えて、肥満や妊娠などで腹圧が高くなると、物理的に胃内容物を食道側へ押し上げる力が強くなり、逆流が起こりやすくなります。
そして、この腹圧によって胃が押されたり、横隔膜が加齢で弱くなったりすると、胃が横隔膜を超えて上側に飛び出してしまうことがあります。
これを「食道裂孔ヘルニア」といい、これが生じると、常に非常に逆流が起こりやすくなってしまうのです。
ところで、今回私は「胃・食道逆流症」と書きました。
皆さんには「逆流性食道炎」という名前が良く知られています。
わざわざあまり知られていない言葉を使ったのは、呼吸器科医師の分際で消化器の病気も知ってるよーってイキってみよう!と思ったから。
では、もちろんありません・・・。
「逆流性食道炎」は、胃酸が逆流して食道の粘膜にただれを起こすため、胃カメラで内視鏡で直接確認することができます。
しかし、「非びらん性逆流性食道炎」という病態があります。
これは、胃酸が食道に逆流しているにもかかわらず、粘膜に明らかなただれがない状態です。
実はこの状態でも、酸が逆流する回数や時間は、「逆流性食道炎」とほぼ同じか、それ以上の場合があり、咳や胸やけを誘発します。
しかし、食道が荒れていないため、胃カメラで問題ないと言われてしまうことが珍しくないのです。
「胃・食道逆流症」は、胃酸が食道に逆流していることを指すので、食道が荒れていようがいまいがかは関係ないという訳です。
胃カメラで異常がないからと言って、必ずしも「胃・食道逆流症」は否定ができないという点は、診断の上ではとても大事な点になります。
この原因は、しばしば見逃されます。
その原因として、まさか呼吸器の症状が胃や食道から来てるとは思わないと、医師も患者も考えてしまうことがあります。
加えて、この状態は他の病気と被ることも多いのです。
例えば、喘息や後鼻漏、長引く感染症などで咳が続いた時、その咳によって腹圧がかかってしまうことがあります。
するとその腹圧によって胃酸が逆流して、先ほどの原因と併せてダブル、時によってはトリプル以上の要因によって咳が止まりにくくなることが珍しくないのです。
喘息や後鼻漏などと診断されて治療してもなかなか良くならない咳の中に、このようなパターンが潜んでいることがあるのです・・・
さて、「胃・食道逆流症」が咳を引き起こすしくみを見ていきましょう。
咳は、のどや気管にある「センサー」が刺激を受け取って脳の咳中枢に伝え、反射的に咳を出す流れで起こります。
詳しく見てみましょう。
最初に食道やのど、気管などにある受容器(センサー)が、何かしらの刺激を感じ取ります。
次にその情報は、神経の線維を上って行って脳へ伝わり、脳の「咳中枢」に届きます。
脳の「咳中枢」は、この状況を判断し、咳を起こすかどうかを決定します。
「咳をする」と脳が決めた時、咳中枢の指令は、今度は神経線維を下って胸や腹の筋肉、声帯など、様々な場所に送られ、これらを協調的に動かして激しい空気の流れを作り出し、異物を押し出すのです。
受容器(センサー)には主に二種類あります。
一つが、酸や炎症性の物質に反応する「化学受容器」で、もう一つが、圧力や引っ張りに反応する「機械受容器」です。
のどや気管には「化学受容器」が張り巡らされており、胃酸が逆流すると、「化学受容器」がこの酸の刺激を拾ってしまいます。
ここからの信号は、「迷走神経」の中の「上咽頭枝」という細い線維を上って「咳中枢」へ送られて咳が出てしまうという訳です。
またこのような胃酸逆流が続いてしまうと、「化学受容器」が慢性的に興奮し、迷走神経線維の先端で、炎症性の物質(サブスタンスPやCGRPなど)が作られるようになります。
これによって、今度は神経そのものが炎症を起こしてしまいます(「神経原性炎症」といいます)。
炎症を起こした細胞から放出された物質はさらに受容器を刺激し、神経線維全体の敏感度を高めます。
その結果、ちょっとした温度変化や香り、水分の飲み込みなど、普通なら咳が出ない刺激でも咳反射が暴走しやすくなることがあるのです。
さらに、「咳中枢」のある脳幹でも、長期間絶え間なく刺激が届くことによって咳中枢が過敏になってしまい、わずかな刺激でも過剰な咳命令を出すようになります(「中枢感作」といいます)。
こうして末梢(体の末端)と中枢(脳幹)の両面から神経が「咳モード」にロックされ、治りにくい長引く咳へとつながるわけです(この状態を「咳過敏症症候群」といい、コロナ感染とかでも神経が傷ついてこうなったりすることがあります。こちらについては以前このブログで詳しく触れていますので、ご興味のある方はどうぞ!)。
また、胃酸がのどに到達すると、のどにある化学受容体が感応してしまうのですが、この際に反射的に声帯が閉じてしまうことがあります。
併せて胃酸の酸そのものが声帯を傷つけてしまうことも相まって、声帯の機能が低下してしまうことがあります。
これによって「声がれ」が出ることが少なくないのですが、これに合わせて「のどのいがいが」や、声帯が閉じることによって生じる「のどのつまり感」が生じることがあり、これらの症状が伴う咳は、「胃・食道逆流症」によるものの可能性が高くなります(この状態を「声帯機能不全」といいますが、これは私たちの世界では最近とってもアツい話題ですので、今後改めて詳しく触れてみようかと思います)。
「胃・食道逆流症」による咳は、他の疾患が引き起こす咳と比べて次のような特徴があります(必ずしもすべてが当てはまるわけではない点には注意が必要です)。
1. 発作のタイミングと誘因
「胃・食道逆流症」の咳では、食後すぐや、就寝中など、横になったときに咳が増えることが多いのが特徴です。
特に夕食後に横になると逆流が起きやすく、また就寝中は夜間から早朝にかけて咳で目が覚めるケースが目立ちます。
2. 咳の性状
「胃・食道逆流症」の咳は、神経を刺激する咳なので、乾いた空咳が中心で、痰を伴わないことが多いです。ただし、喘息や後鼻漏など、他の要因による咳と被ることがあり、その時には痰を伴うことは珍しくありません。
3. 随伴症状の違い
「胃・食道逆流症」では、胸やけや呑酸(酸っぱい液の逆流感)を自覚する人がいますが、これも実は半数程度と言われていて、残りの半数は出ないことが分かっています。
先ほどお話しした、「のどのいがいが感」や「声がれ」、「のどの詰まる感じ」も起きやすいのですが、のどのアレルギーや長引く喘息でもこのような症状をきたすことはあるので、やはり診断は一筋縄ではいきません・・・
これらも、先ほどお話ししたように、ダブル、トリプルの要因があると、大きく様相が変わることがあるので、診断は専門医にお任せしちゃった方が無難です。
生活習慣の改善ポイント
さて、胃・食道逆流症による咳と診断されたらどう対処しましょうか。
まずは生活習慣から見直してみましょう。
咳を抑えるための基本は、胃酸の逆流を防ぐことです。以下のポイントを参考にしてください。
食事の工夫
1回の食事量を減らし、1日5~6回に分けると、満腹にならずに腹圧の上昇を抑えることができます。
また、脂っこいものや刺激物(コーヒー、チョコレート、炭酸飲料、アルコール、ミントなど)は胃酸分泌を促進してしまうので、摂りすぎは避けましょう。
あと、食後すぐに横にならないことや、夕食を遅くとりすぎないことも重要です。
就寝時の姿勢
咳が止まらない時は、食道への胃液の流入を抑えるため、頭を10~15センチ上げて寝ると効果的です(枕の下に板や枕、タオルなどを入れて対処します)。
仰向けで寝ると逆流しやすい場合は、少し左を下にして横向きで寝るのも効果的です(胃はは体の左側にあるため、左を下にすると胃が食道より低くなり、逆流しにくくなるのです)。
体重管理
肥満は腹腔内の圧力を上げ、逆流を助長するので、体重が重い方は減量が効果的です。
適度な運動(ウォーキング、ストレッチ、軽いジョギングなど)は減量に効果がある上、胃を積極的に動かし、内容物を胃の先の十二指腸まで送り届けやすくなるというメリットもあります。
衣服や生活環境
きついベルトやウエストの締め付けは腹圧を上げるので避けましょう。
喫煙は下部食道括約筋を弛緩させてしまって、逆流を悪化させるため、できるだけ避けたいところです(もちろん「咳」の観点からのまず最初に対応すべき箇所です)。
ストレスは胃酸分泌を増やすため、リラックス法(深呼吸、ヨガ、趣味の時間)を取り入れても良いかもしれませんね。
薬の使い方
これらの対策と合わせ、薬を使っていくこととなります。
症状が軽い場合は市販の胃薬でも一時的に逆流症状を抑えられますが、長引く場合は病院での処方薬のほうがベターでしょう。
胃酸分泌を強力に抑える「プロトンポンプ阻害薬(PPI)」「カリウムイオン競合型アシッドブロッカー」などに加え、胃を動かして内容物を奥に送り届けてしまう「消化管運動亢進薬」を併用することもあります。
前者が「ネキシウム」「タケプロン」「オメプラール」「タケキャブ」など、後者が「ガスモチン」「ガナトン」などが代表的な薬です。
これらによって2~4週間まずは様子をみて(神経過敏があることがあるので、適切な診断、治療でも改善までずいぶんと長引くことが珍しくないのがイヤらしいところです・・・)、その後の症状の変化具合でさらに見立てを進めていく、というのが、一般的な治療の流れになるかと思います。
と、今回もついつい長くなってしまいましたが、胃・食道逆流症による咳は、ここまでお話ししたように診断、治療が簡単でない上に、他の疾患と被るケースが少なくなく、実際に適切に診断、治療するのはかなり難しく、私たち呼吸器専門医でも悩ましく思うケースもあるほどです。
やはり長引く咳でなかなか良くならない時は、一度深く掘り下げてみないと見えてこない原因が隠れていることが多いものです。
ぜひそんな症状の時は、私たち呼吸器専門医を頼ってみてください!